2011年08月01日

英会話は習い方が全てかもしれない-@

私の体験

 今私は、アメリカ人の友人が何人かおり、仕事も自前の英語を使いますが、中学、高校の英語の成績は「3」。たまによくても「4」。英語を学校で習い始めた時からアメリカへ行くことにあこがれを持ち、行きたい、行きたいと思いつつも英語の成績はパッとしませんでした。

 一生懸命勉強をしたつもりでも、何故か答えは間違いだらけ。いつもガッカリしていた記憶があります。それでも、アメリカへ行く夢はあきらめきれず、短大を卒業するとともに、短期でアメリカに語学留学することとなりました。資金はバイトで貯め、3ヶ月の予定でイリノイ州のサザン・イリノイ・ユニバーシティへと旅立ちました。ヤッター!!!

 その頃の私は情報をどこでどう得るかということがさっぱりわからず、留学センターなるものを見つけ、そこに手数料を支払い大学も渡航の手配も全てお願いしました。まったく、どこにどういう大学があるかもわからない状態なので、担当の方の言うなりです。
「サザン・イリノイ・ユニバーシティは語学学校の水準が高いですよ」
と言われて、即決です。
 渡航の前には丁寧に飛行機の乗り方から、最終地点の大学留学生センターへの行き方まで指導していただきました。

 両親に見送られて、飛行機に乗った私はずーっと緊張のしっぱなし。今思い出しても、一生に一回の大きな冒険でもしている気分だったな・・・と思います。

 その飛行機はシカゴのオヘア空港へ向かっていました。隣に座った方が日本で日本語を勉強していたドイツの方で、右も左もわからない私は最初から最後までお世話になりました。緊張しているからか、スチュワーデスが何を言ってもまともに答えられないのです。その飛行機はノースウェスト航空、全て英語でした。今ではデルタ航空となり、デルタ便に乗ると、アテンダントの方は少なくとも決まりきった内容は一生懸命に日本語で話しをしてくれますが、その頃私が乗った飛行機ではそういうことは全くありませんでした。

Ohare.JPG
■オヘア空港

 シカゴに到着し、コンコースを歩いていると、隣に座っていたドイツ人の女性が急にダッシュを始めました。ダッシュの先には男性が待っていて、あっという間に抱き合い、熱烈なキス、キス、キス。
 私はその光景を呆然として見ていました。そんな〜。洋画みたい。本当にあることなんだ〜とビックリし、ショック状態になった私は、その女性とは挨拶もそこそこに別れたと記憶しております。

 私は荷物を受け取り、タクシーにて、空港近くのベストウェスタンホテルに行かなくてはなりませんでした。次に飛ぶところはセントルイスで、次の日までフライトがないのです。

 なんとかタクシー乗り場に到着し、行き先の紙をディスパッチに見せていたら、先ほどのドイツ人の女性が何故かまた現れて、「この子は英語ができないの、よろしくね」と言っています。それくらいの意味は私にもわかるんだけど、と思いつつその親切に対して何も言うことができず、黙っていると、今度はタクシーの運転手が乗車拒否です。理由は「この子は英語ができない」

 そこで、私はまた呆然とショックを受けます。一応この時点でみなが何を言っているのかがわかるのですが、私は言い返すことができないのです。緊張、ショック、そして最初から否定されたことに対して自信を亡くしてしまったのだと思います。

 呆然と立っているだけの私が何も言わないうちに、ドイツ人の女性、ディスパッチ(手配係り)、がタクシーの運転手を説き伏せ私もタクシーに押し込められました。
元気のない運転手に、行き先が書かれた紙を見せて何の問題もなく、ホテルへ到着しました。

 初めて泊るアメリカのホテル。一流のホテルではないのですが、とっても清潔で綺麗で大きいというイメージでした。おなかが空いていたので、夕飯を食べに外に出ましたが、ここからがまた、またチャレンジです。

 ホテルのすぐ隣にバーベキューのお店とマクドナルドがあり、私はマクドナルドに入ることに決めました。ところがオーダーができないのです。何を喋っても通じなかったのです。しょうがないので、指差しでコレ、アレ。何とかオーダーし、食事にありつけました。ハンバーガーを食べたと思うのですが、その時もどこに入ったのかわからないほど緊張していました。

 そして、ホテルに戻り部屋の前でカギを取り出そうとしたら、カギが見つかりません。えぇどうしよう。あちこち探して、どうしよう、どうしようと・・・。しょうがない!フロントの人に言おうと思ったのですが、この時もあまりに緊張していて、何と言っていいのか、わからなくなっているのです。辞書を引いてみようと思っても、辞書は部屋の中。
それから、1時間、部屋の前を行ったり来たりして悩んで。やっと覚悟を決めフロントへ。いつもニコニコしていたフロントの女性に、「I・・・forget・・・ key」と言うと、すぐに新しいカギを用意してくれました。

一晩眠ると、緊張が少し解けたようで、それまでのドキドキはだいぶ薄れました。どちらかというと、今までに体験したことのない習慣、文化の違いを受容していくことに脳がモードを変えたのではないかと思います。

 全く英語圏の文化の勉強もせず、英語を話す人との交流もなく、北海道の田舎から突然アメリカに行った私は本当に何もできませんでした。

 こんな私でも、今では友人や知人に英語を教えてくれといわれることがあります。え〜ぇ、私が・・・!と心の中では思っていますが、落第生だった私にとってその言葉は大変嬉しく思います。

 ということで、私が英語とどのようにして付き合っていったかをここに綴ろうと思います。「次回は聞こえないと喋れない」です。

つづく
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