2011年07月28日

3月11日、震災後に思うこと−N

再度被災地へ

 私は4月に入りもう一度、仙台に行く機会がありました。この時にはすでに、東北自動車道も一般車が走れるようになっていました。

 この日私たちは谷中さんたちと朝早くに群馬を出ました。車は少なく一般車もあまり見かけませんでした。途中、電気や配線工事用のトラックが群れをなして走っていました。全て新潟ナンバーで、被災地に向けて電気工事をするのだと思いますが、何十台も一緒になって走っていると、圧巻です。

 仙台の田子さんのところは相変わらずで、荷物を受け入れ分配し、運ぶということをしていました。
 そろそろ地震から3週間です。だいぶ落ち着いてきのではないかと思っていましたが、瓦礫の山はそのままです。その瓦礫の間の道路を掘り起こされ、道にまたがっていた障害物はさすがに片付けられていましたが・・・

 今回は、荷物の分配を終えた後に、石巻と女川方面に行くということでした。幹線道路も普及してきたので、被災地にはその友人や親戚の人達の往来が多くなるだろうと予測していましたが。石巻に通じるバイパスはとんでもない渋滞でした。

 なんとか、石巻に到着。2〜3箇所で荷物を降ろし、海岸線を走り女川へ。
海岸線は魚の腐乱する臭いが漂っていました。まだ4月、ダウンジャケットを着ていましたが、この悪臭は夏に向かっていくとどうなるのだろう。それまでに処理できるといいなと思っていましたが、「その量たるやハンパじゃないだー」と田子さんの説明。

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谷川さん、田子さんと石巻市

 女川の町は両側が山になっておりその間の少ない平地を利用して街が作られているところです。街は壊滅状態なので、崖の上にある女川病院の駐車場で待ち合わせをするということでした。

 病院は崖の上16メートルに建てられています。駐車場から街を見下ろした時は、誰も言葉を発することができませんでした。何とも言いようがありませんでした。どんな言葉をはいてみたところで、陳腐にしか聞こえないだろうと皆意識の下で思ったのではないかと思います。私たちは無言で作業を始めました。

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女川病院から見た女川町

 そこへ現れたのが、細井さんです。津波の時の避難勧告を聞き車に乗りとりあえず山の方へ逃げようとして、振り返ったら「家」が追っかけてきた。それを見た途端必死になって車を運転し間一髪で逃げ切ったということでした。

 津波の後、自衛隊が様子を見にきていたそうです。津波に流されたところは道も埋まっていて入ることができない。ということで、建築関係の仕事をしている彼は次の日から自衛隊と一緒に必死になって道を掘り起こしていたと言っていました。その為に、田子さんとも連絡も出来なかったと・・・。

 ここ、女川病院の駐車場は女川の街が見渡せます。その向こうに広がる太平洋も見渡せます。地震後ここに非難してきた人がたくさんいました。崖の下にいる人に向かって「逃げろー。逃げろー」と叫んでいたそうです。
ですが、津波はここの駐車場よりも高く、叫んでいた人たちも全て飲み込んでしまったということでした。

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間一髪で津波を逃れて道路復旧に貢献した細井さん

つづく
posted by nanami at 18:22| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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