2012年02月23日

彌彦神社 3

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摂社・末社

 新潟の人たちに、彌彦神社とは?と聞いてみると、
「女の神様だから、カップルでお参りに行くと、神様が嫉妬してそのカップルは分かれることになる」というもの。
何故かそんな通説があるのだが、ここの神様はれっきとした男神で、山頂の御神廟には、お妃神「熟穂屋姫命(うましほやひめのみこと)」と仲良く祭られている。ちなみにここは縁結びの名所となっている。

 弥彦は温泉も有名で、その昔は男性が遊びに行くのには、奥さんが付いてこないようにこのような詭弁を使ったことがいまだに残っているということらしい。

 これだけの歴史がある神社だと、境内に宝物殿があるのはめずらしいことではない。
平安時代、室町時代、鎌倉時代、に歴史の中に登場する、武将や有力者からの立派な太刀や陶磁器などさまざまなものが奉納されている。

 その中でも特に私が感動したものがある。
 それは、上杉謙信が武田信玄との5度目の川中島合戦を前に記した祈願文である。

 ある時、学研が出している、神社紀行の特装版で彌彦神社というA4より少し大きめの36ページの薄い本が社務所で売られていたのでそれを購入した。神社、お祭り、由緒から門前町の話などが織り込まれていた。そのうちの見開きで2ページが上杉謙信のお話だった。

 祈願文の写真があり、その解説には
「川中島合戦の出兵にさいし、彌彦神社に神助を請うた祈願文。その文面は、けっして私利私欲の戦をしなかった謙信の人柄を彷彿させる」
と書かれていた。

 当時バラバラだった越後を武力ではなく人望で統一をしていき、戦いに行くときには、神仏に恥じることのない義戦であるという信念で戦っていたということが、書かれていた。

 現在でも非常に人気が高い武将であり、小説やテレビ番組などで幾度も紹介されている。

 今も、昔も、本当に人の心を動かすことができるのは、こういう人物なんだなとその時に思った。そんな、日本史の表舞台で活躍した武将の跡を意図せずしてたどることとなった、そんな古い歴史のある神社でもあるのがここ彌彦神社でもあるようだ。

おわり

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2012年02月22日

彌彦神社 2

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1月3日初詣で訪れた人たちでいっぱいの本殿前

 子どもの頃は、彌彦神社がどういう神社なのかわからずにただ、その空間に行くことがなんとなく嬉しくて行っていた。後年になって、いつ頃建てられたのだろうと思い神社にいる人に聞いてみた。
 すると、はっきりした答えが返ってこなかったのである。
 「いつなんでしょうね〜。万葉集に詠われているから、それ以前からはあったようですよ」
 というのがその時の答え。
 
 これに対して私はすごく驚いた。こんな立派な境内も山もあって、ずっとお祭りされてきた神社の創建年がわからない。それがすごく不思議だった。
 
 今では、この答えも多少は理解ができる。 
もともと、神社があるところは、社殿などはなく、岩や木を注連縄など囲い、自然に対して感謝の気持ちを捧げる、祀りの場だったことが多く、仏教の伝来とともに、社殿が作られていったといわれている。
 すると、社殿がなかった時代も含めると、いったい、何時からお祭りが始まったのかはわからないといこともあると今では認識している。
 そして、何千年もの間神社として大事にされてきた境内は、もちろん、むやみやたらに木を伐採することもなく、自然の植生そのままだということを学んだ。この時に、だから北海道の自然を思い出すことができたのかと合点がいった。
 
 彌彦神社にお祀りされているのは、天香山命(あめのかごやまのみこと)。『先代旧事本紀』では、高倉下命と記されているそうだ。
 神武天皇が熊野で得た霊剣「布都御魂(ふつのみたま)」を見つけて献上した高倉下命。この霊剣によって、荒ぶる神を制圧したという。
 神武天皇の即位後、勅命を受けて越後に渡り、漁業と農業を伝授したと伝えている。

 ということは、日本最古の歴史書といわれる、古事記にもその記載がチラっと載っているということになる。
 北海道出身の私は、日本の古い文化遺産に触れたのはこの神社が初めてで、当たり前なのだが、
「本当にこういうことがあるんだ」
と実感した。

つづく

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(左)菊祭りの様子(右)菊祭りで出店中の出店。
 お祭りは11月1日から24日まで開催される。
 期間が長いせいか、境内はわりとゆっくりとした感じで、初詣のように人が押し寄せる感じがしない。
といっても写真でみると結構人がでているかなぁ〜。どちらにしろ、
 私はこの日はゆっくりと、紅葉を楽しむつもりで散歩気分で訪れることにしている。
posted by nanami at 09:54| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年02月21日

彌彦神社

彌彦神社 1

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弥彦山と多宝山 8月

 新潟平野のほぼ中央、日本海側に600メートル級の山が5つ連なっている。左から、国上山、雨乞山、弥彦山、多宝山、松ヶ岳。
真ん中の弥彦山が一番高い山である。そして、その麓に抱かれるように、彌彦神社がある。

 小学校4年生の時にこの神社を訪れて以来とても好きな神社の一つとなった。
その頃私は北海道に住んでいた。春、石狩平野がまだ雪を被っているころ、家族4人、車で新潟まで旅をした。車の中から見える景色がどんどんと変わる様子に大変な驚異を感じ、両親を質問攻めにしたのを覚えている。

「どうして青森ってこんなに暗いの?」
その時の青森は空がどんより暗く、雪に閉ざされていた。
「どうして、本州は走っても走っても街が切れないの?新しい街に入ったらどうやってわかるの?」
「どうして、本州には、原生林がないの?」

 これらはその時の私にとって、大変な不思議だったのである。そして、どこを見ても人が手を入れた跡があるとことに非常に違和感を覚えた。ほったらかしの自然が少ないので子どものくせに大変窮屈だと思った。
北海道にいると、自然の森が多く、自分の気または気配がどこまでも通り、大きな受容と開放感が感じられるのだが、それがここではまったく無いように感じたのである。

 そんな不思議な感覚も新潟に到着する頃にはすっかり忘れた。新潟平野で何代にもわたってお米を作ってきた母の実家は萱葺屋根で、人が何十人も泊れそうな大きなお屋敷だった。蔵が家の横にあり、池が家の前にあった。そして大きな倉庫のようなものがその隣にあった。

 何を見てもめずらしいかった。
まるで、外国に来たみたいで、教科書やテレビ、マンガで見た世界がそこにあったのである。その頃の私はこういう日本の昔ながらの家屋はもう存在してないと思っていたのである。だって、北海道で生活している分には見たことがなかったのだから。

 親戚やいとこにいろいろなところに連れていってもらったのは今でも楽しい思い出となっている。そして、旅の最後に訪れたのが彌彦神社だった。

 訪れた時に、「やっと北海道にいる時と同じような感覚になれるところだ」と思った。杉の大木が何本もあり、寛容と受容そして、なんとなく心が解放されていくような感じがした。
鬱蒼とした鎮守の森は静かに参道を通る人々を見守っている。その頃は参道の前に写真屋さんがいて、参道をバックに記念写真を撮っていた。

 社殿の後方から弥彦山の山頂へ登るためのロープーウェイがあり、駅まで歩いて約10分。その道が「万葉の道」と呼ばれている。参拝を済ませて、万葉の道を歩くとさらに心がどんどん晴れていくような気がした。

 山頂には、遊園地があり、もう少し山をゆっくりと登り山頂の御神廟までいくと、日本海と越後平野の両方が遠くに見渡せた。
「神様はここから、海と平野の両方を見てるんだ〜」
と思ったものである。

 こんな小学校4年生の時の思い出は、彌彦神社は心が解放される場所として私の中に位置づけられ、新潟を訪れる度に参拝している。

つづく

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(左)一の鳥居(右)玉の橋 「神様だけが渡るといわれている」5月

posted by nanami at 14:53| Comment(0) | 神社 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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