2011年07月21日

3月11日、震災後に思うこと−H

 この日の夜仙台から群馬に向かい、車を乗り換えて都内に戻ってきたのが午前9時くらいだったと思います。群馬までは車中で寝させてもらいましたが、それでも30時間ノンストップの旅程でした。-3月23日
 
 その後、都内に戻りスーパーに行ってみましたが、商品はかなりの品薄状態。ガソリンスタンドにも長い列が出来ていて「緊急時」という状態がまだ続いていました。友人に連絡すると、ずっと緊張しているので、緊張しているのが普通になってきたと笑いながら言っていました。

 この頃から、別に仕事は東京でなくともいいのではないかという声がアチコチから耳に入ってきます。文明の利器、パソコンやインターネット、電話を利用すると都内でなくとも仕事が出来るということがわかった・・・と。私自身も大変賛同しましたが、今となってみても、今年のマンションの賃貸契約を更新するか否かで迷っています。

 さて、東京―名古屋―群馬―仙台―群馬―東京と一週間で旅をすることとなりましたが、その間に様々な人達が被災地のサポートをしていくさまを見る機会がありました。

 最初に手を上げてくれたのが、前述の名古屋の友人。心よく宿泊を引き受けその後も義援金集めのための集会を開いたり、物資を谷中さんに送っていたようです。それと、全国で講演会をしている先生。いっせいにメールで全国に知らせるとともにたくさんの物資があつまりました。

 海外の友人。放射能の心配があるなら、何時でも家においでと言っていただき、仙台への物資を送っている話をすると、すぐにグーグルチェックアウトを使って送金してくれました。ネットの力はすごいと実感した時です。

 知り合いの運送屋の社長。こういうことは初めてということで、まぁみんなが初めての経験だったと思いますが、東北自動車道は通ることができないと思っていたらしく、谷中さんに緊急車両の申請の方法を聞いて認定を受け、その後何度か荷物を運んでいたようです。

 ある経営者の会。ここの理事の方と偶然話す機会があり状況を説明すると、事務局にすぐに連絡をし、そこから被災地へ物資応援のためのプロジェクトが立ち上がったということ。大きな組織でもあるので、すぐには動けなかったようですが、議論と打ち合わせを重ね3月24日にはいわき市に救援物資第一号を届けることとなったようです。

 そして、全国から物資を送っていただいた方々。箱一つ一つに個性が現れていて、心を込めて送っていただきました。田子さんのお店の中には、その箱から飛び出てきた、頑張れのお手紙が長いのれん状態になっています。
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 仙台の田子さんにいたっては、自分の家が津波で流されたにもかかわらず、「俺は自分が納得するまでするよ!」と毎日物資を運ぶ奮闘をしていました。
 最後に、この渦の要となっていたのは何と行っても谷中さんだと私は思います。震災の次の日には仙台に入っていたというその勇気と行動力。この素早い善意に満ちた行動が結果的に大きな渦を作っていったのではないかと思います。

つづく

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■救援物資を届けた後、車が見えなくなるまで、何度も頭をさげてくれた。石巻にて
posted by nanami at 12:10| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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