2011年07月16日

3月11日、震災後に思うこと−C

 交通機関、通信機関、生きていく上のライフラインなど、文明の利器が一瞬にしてなくなってしまうと「途方に暮れる」という言葉がこの時ほど真実味が出てくるのではないかと思います。本当に動いていて当たり前のもの動かなくなると、それがどういうことか理解できないのです。

「早くどうにかできないの〜」という声があちらこちらから聞こえましたが、どうにかしたくても出来なかったというのが震災直後の実情だったと思います。

 通信網が切断されたために、どこにどれ位の被害があったかなどの把握に困難を極めた。自衛隊などがヘリコプターを飛ばしかなりの人名救助ができたと思いますが、空から見えないところなども多々あったと思います。

 自治体そのものが津波にあっている場合、さらに出来ることが限られていったのではないでしょうか。小さな避難所に集まっている人達は、交通機関が分断したために、被災者が外へ助けを求めに行くこともできない。誰かが救援してくれるだろうと思ってもなかなか誰もどうにもしてくれない。などなど。

 逆に手を差し伸べたいと思っている人も、交通手段がないし、何をどうしたらいいのかもわからないということがあったのではないか…と。

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 仙台の若林地区でカスタムバイクの製造販売をしている田子さん。その社屋の一階にも津波が襲ってきました。津波の高さは20センチ位で、そんなに高くはなかったので幸いでしたが、外に出ていたバイクは流され、回りの田んぼに突き刺さり、少し離れた彼の住居の一階部分は全て水につかり、半壊してしまったそうです。幸い家族は無事だったそうです。

 群馬に住む谷中さんは震災後すぐに田子さんに電話を入れたところから、この救援物資を運ぶ活動が始まることとなったそうです。

 「いやぁちょっと手伝ってくれよ」
 「わかりました。時間のある者何人かで、物資を積んで行きます」

そう言って、積めるだけの救援物資をトラックに積んでから、警察に寄り、

 「今から、仙台に行かなくてはいけないんです。大変なんですよ」と救援車両の認定を受けて、東北道をひたす
ら仙台に向かったそうです。
 その頃の東北自動車道は仙台に近づくにつれて、ガタガタがひどくなり、20cmの段差もあったそうな。早くいかなくてはとスピードを出し、パトカーを追い抜いた時、

「気をつけて行って〜くだ〜さ〜い」と背中のパトカー。

つづく
posted by nanami at 10:33| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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