2011年07月13日

3月11日、震災後に思うこと−@

 震災後、世の中のさまざまな現象の表と裏がヒックリ返ったという気がしてなりません。
 企画を立てて動いていたものも、何となく押そうとも思わなくなりそのまま立ち消えたものが何点かあります。私自身にとっては、もう一度自分自身を振り返るいい機会を与えられました。

 3月11日、東京、世田谷区の自宅でパソコンを見ている時に大きな地震がきました。本棚から本がなだれのように落ちてきましたが、そんな程度だったので私は強い地震だったなと思ったにすぎません。
 夕方外に出てみると電車が止まっているようで、246号線に山のような人が無言で同じ方向へひたすら歩いていました。その日から交通がマヒしたので、家でニュースをみつつ情報を得つつ、できる仕事をしていました。その三日後、何となく群馬にいる友人―谷中さんに電話をしたのです。
「いやぁ、被災地はひどいですよ。テレビで見るのとは大違いで、す・ざ・ま・し・いですよ」
 何と彼は震災の次の日に警察で緊急車両の認定を受けて物資を仙台まで運んでいたのです。
 「まったく、テレビでは緊急物資配られてって、報道されているけど、実際は全然届いていないところがたくさんあるんっすよ。道もないし、小さな避難所にいる人は水も食料もないし」

 震災後の3日目では被災地に荷物を送ろうにも、送る手段がない時でした。被災地の宅急便の会社、郵便局が機能していないので、何かを持っていこうと思ったら、緊急車両の認定を受けた車で運ぶしかなかったのです。谷中さんは仲間とともに地元で食料や懐中電灯、煮炊き用の道具、オムツなどなどを買いあさりそれをまとめてトラックにつめて運んでいたのです。

 そして、何か送れるものがあったら送ってくれという谷中さんに対して、私は、「あ〜。あ〜。今東京のスーパーとか行っても何も売ってないんだよね」とその時は、彼のその行動力とその精神にいい意味でショックを受け、唖然としている状態でした。すごいな〜。

 何もできないと思い、さらに家で仕事をしていたのですが、その頃には福島原発が大変なことになってきているという認識が広がっていました。私は原発について詳しいと思われる知り合いに電話をしました。そこで聞いたことは絶望的で結論としては、東京から逃げた方がいいというものでした。
「僕だったら、大阪に仲のよい友人でもいたら、10日間くらい遊びに行くよ」
 そんな話を聞いた私は、え〜ぇ!どうしよう。と、それからどうしようかという葛藤が始まりました。そして、その時には谷中さんのすばらしい行為は忘れ果てていました。

 そうだ。友人が名古屋にいるから、そちらに逃げよう!そう思ったら行動は早く、名古屋に電話して、東京では今ガソリンが手に入らないから、途中でガソリンがなくなったら、ガソリン持って迎えにきて!と話をつけ、夜7時。ビックリするくらい静まった東京を決死の思いで車を運転し名古屋に向かったのでした。

つづく
posted by nanami at 11:25| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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