2011年07月23日

3月11日、震災後に思うこと−J

世界が驚く東北人の対応

 我々は日本の国土の上で普通に暮らしていて、いろいろなことが普通のことだったり、普通の態度だったり、全て普通の世界の中にいて、加えて「大方当たり前」と思い、それに関しては深く洞察しようともしないのではないでしょうか。
 その、当たり前で普通のことが日本の外から見ると、驚きとともに感嘆していただけたようなのです。
 
 暴動が起きないこと。マスコミの対応。自分の悲劇を嘆き狂ったように泣き叫ぶ人がいない。みんな節度を守り団体で行動できる・・・など。

 私自身は以前営業でよく、いわき、相馬、気仙沼、大船渡、陸前高田に行っていました。太平洋岸のこれらの町に東京から行く場合、東北自動車道を北上し、途中で太平洋の方へ右に折れて山々の間を進みます。その山道を走っていると、突然視界が開けて太平洋が広がるという感じです。主要な交通網である高速道路と新幹線、東北本線からはその山並みを越えないとたどり着きません。
 私は自分で車を運転していたのですが、この山並みがすごく好きでした。高い山はなく、穏やかに続く山並みの間を行き交う車も少なく、鳥のさえずりが聞こえるようなそんな感じで、いつも暖かく迎えてくれるようなそんな気がしたものです。

 その山並みの向こうでは海岸線の少ない陸地を利用して寄り添うよう家並みがあり、町を形成しています。山中の緑の中を走るような暖かさとは打って変わって、太平洋に向きあう厳しさのようなものを感じます。漁港で栄えている街は、その港がどういった魚が獲れるかによって街の雰囲気が全然違いました。
 
大船渡にお店をかまえるお客様のところは鉄筋コンクリート作りの4階建てでした。ここで2日ほど仕事をしたときいろいろとお話をうかがく機会に恵まれました。大船渡には高いビルが少ないのですが、回りを見下ろすような4階建てのビルにしたわけは、津波を警戒してのことだとおっしゃっていました。

 地震がある度、津波警報が出される度に1階にあるお店の商品を一番上の階まで運ぶということでした。ご先祖様が津波に対して大変用心深く、そのために店主の父親の代で鉄筋コンクリートのビルにしたそうです。建てた頃はその周辺では一番背の高いビルだったそうです。
 残念ながら、今回の津波は彼らの用心をも及ばないようでした。津波はビルよりも高く押し寄せたようです。グーグルマップの航空写真で見ると、ビルそのものは残っているようですが、周りは全て流れてしまっていました。

 ところで、このグーグルマップですが、いつの間にか航空写真が震災後の写真に入れ替わっていて、津波によってどこまで街が破壊されたのかがよくわかります。

この街の人達は私が何時営業に行っても「そんな遠くからいらしたのですか」と暖かく迎えていただいた記憶が残っています。

東北の人、特に太平洋岸に住む人々は素朴で素直な方たちが多いのではないでしょうか。大多数の人たちがとても忍耐強く、いただけるものに感謝している方が多いのではないかと思うのです。そして、もしかすると、日本の文化を上手に継承している人が多いのではないかと思ったのです。
そして、世界の人々は、古代から私たちが継承してきた文化の背景からくる考え方、習慣に感動したのではないかと私は思うにいたりました。

つづく
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2011年07月22日

3月11日、震災後に思うこと−I

世界の報道に驚く

 都内のスーパーや食品店はまだ品薄状態でしたが、3月中は何度か仙台に物資を送りました。谷中さんに何が必要か聞きながら品物を選びます。時が過ぎると必要なものも変わっていきます。食品、下着は何時でも必要だそうですが、この頃になると洗剤が欲しいとよく言われました。3月の最後の週には仙台の宅急便も機能しはじめ、群馬ではなく直接仙台に物資を送ることができました。
 
 その頃です。アメリカの友人からチェーンメールが届いたのは。「日本から学ぶ10のこと」と題されたメールでした。

Ten things World can learn from Japan.

1.THE CALM :冷静  
  誰も叫んだり、怒鳴ったりというような感情を吐き出さない。
2.THE DIGNITY :品位がある
  水や食料品の取り合いや、そのために汚い言葉で他人を罵ることをしない。
3.THE ABILITY :技術
  すばらしい建築技術。建物は揺れるが崩壊をしない。
4.THE GRACE :思いやり
  買い物をする時は他人のことも考え自分は必要な分だけを購入する。
4.THE ORDER :秩序
  商店、銀行の強奪がない。
6.THE SACRIFICE :犠牲
  原子力発電所では50人が自分を省みず海水を注入する作業をしている。
7.THE TENDERNESS :優しさ
  食堂では価格を下げて提供。ATMが無防備に残され、強い者が弱い者を助ける。
8.THE TRAINING :訓練
  老人も子どもも何をすべきかわかっており、実行している。
9.THE MEDIA :メディア
  被災の様子を長い間伝えているが、バカなレポーターはいない。皆冷静に状況を説明している。
10. THE CONSCIENCE :良心
  停電になった時、買い物中であれが商品をもとに戻して立ち退く。これが日本です。

 ふ〜む。
 私的には、少し話しがオーバーになっているところもあるような気がしますが、それにしてもアメリカの方たちはこういうことに驚くのか・・・。我々日本人は普通のことなので気がつかないし、だから、それ・・・が・・・何だというの?という気持ちにもなるのですが、世界の人々にとっては驚きの事実として様々な形で報道されたようです。

 下は、他国のニュースのヘッドラインを集めたものです。

●米紙 
「不屈の日本」社説
11日に日本を直撃したような規模の地震からは、どの国も無傷ではいられない。その被害にもかかわらず、1億2600万人の人口を抱えるこの島国が1900年以降で5番目の規模の大地震にいかに適切に対応しているかは、注目すべきことである。

●ベトナムメディア
「怒鳴り合いもけんかもない」「本当に強い国だけがこうした対応ができる」「われわれが学ぶべき多くのことが分かった」

●インド紙 ビジネスライン
天井や壁が完全に崩れ落ちるような災害の中でもすべての規律が保たれていた。

●中国紙
「日本人の冷静さに世界が感心」との見出し

●ロシア・タス通信
「ほかの国ならこうした状況下で簡単に起こり得る混乱や暴力略奪などの報道がいまだに一件もない」

 上記のチェーンメールの内容を確認するかのようなニュースの見出しです。そして、アメリカの友人の一人でその時は仕事でインドにいたようで、インドから電話がかかってきました。

 「大丈夫か〜!地震は?原発の状況はどお?」などと、残念ながら原発に関しては海外でのニュースの方がより情報が公開されていると言われていた時です。

 その友人が何度も、日本人の態度、その行動に世界の人が感動しているよ。アメリカはもちろん、インドでもそうみたいだ。と言っていただきました。

つづく
posted by nanami at 12:25| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月21日

3月11日、震災後に思うこと−H

 この日の夜仙台から群馬に向かい、車を乗り換えて都内に戻ってきたのが午前9時くらいだったと思います。群馬までは車中で寝させてもらいましたが、それでも30時間ノンストップの旅程でした。-3月23日
 
 その後、都内に戻りスーパーに行ってみましたが、商品はかなりの品薄状態。ガソリンスタンドにも長い列が出来ていて「緊急時」という状態がまだ続いていました。友人に連絡すると、ずっと緊張しているので、緊張しているのが普通になってきたと笑いながら言っていました。

 この頃から、別に仕事は東京でなくともいいのではないかという声がアチコチから耳に入ってきます。文明の利器、パソコンやインターネット、電話を利用すると都内でなくとも仕事が出来るということがわかった・・・と。私自身も大変賛同しましたが、今となってみても、今年のマンションの賃貸契約を更新するか否かで迷っています。

 さて、東京―名古屋―群馬―仙台―群馬―東京と一週間で旅をすることとなりましたが、その間に様々な人達が被災地のサポートをしていくさまを見る機会がありました。

 最初に手を上げてくれたのが、前述の名古屋の友人。心よく宿泊を引き受けその後も義援金集めのための集会を開いたり、物資を谷中さんに送っていたようです。それと、全国で講演会をしている先生。いっせいにメールで全国に知らせるとともにたくさんの物資があつまりました。

 海外の友人。放射能の心配があるなら、何時でも家においでと言っていただき、仙台への物資を送っている話をすると、すぐにグーグルチェックアウトを使って送金してくれました。ネットの力はすごいと実感した時です。

 知り合いの運送屋の社長。こういうことは初めてということで、まぁみんなが初めての経験だったと思いますが、東北自動車道は通ることができないと思っていたらしく、谷中さんに緊急車両の申請の方法を聞いて認定を受け、その後何度か荷物を運んでいたようです。

 ある経営者の会。ここの理事の方と偶然話す機会があり状況を説明すると、事務局にすぐに連絡をし、そこから被災地へ物資応援のためのプロジェクトが立ち上がったということ。大きな組織でもあるので、すぐには動けなかったようですが、議論と打ち合わせを重ね3月24日にはいわき市に救援物資第一号を届けることとなったようです。

 そして、全国から物資を送っていただいた方々。箱一つ一つに個性が現れていて、心を込めて送っていただきました。田子さんのお店の中には、その箱から飛び出てきた、頑張れのお手紙が長いのれん状態になっています。
sendai-1.jpg

 仙台の田子さんにいたっては、自分の家が津波で流されたにもかかわらず、「俺は自分が納得するまでするよ!」と毎日物資を運ぶ奮闘をしていました。
 最後に、この渦の要となっていたのは何と行っても谷中さんだと私は思います。震災の次の日には仙台に入っていたというその勇気と行動力。この素早い善意に満ちた行動が結果的に大きな渦を作っていったのではないかと思います。

つづく

sendai-2.jpg
■救援物資を届けた後、車が見えなくなるまで、何度も頭をさげてくれた。石巻にて
posted by nanami at 12:10| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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