2011年07月27日

3月11日、震災後に思うこと−M

日本に古来伝わるもの-3

 今年は皇紀2671年。日本で一番古い文献である古事記が編纂されて1299年です。日本国というくくりで考えると世界でも類をみないくらいに一つの国として歴史が続いていて、その文化を有史以上の長きに渡り受け継がれてきました。その間、もちろん政変は幾度とありましたが、文化の継承という意味では一度も他国に滅ぼされたことがありません。政変も国内に限ってのことです。

 そのせいなのか、日本には老舗が多く、創業200年以上続く企業が3000ほどあるといいます。世界には7000くらいあると言われているので、約40%が日本の企業が占めています。中国では9社、韓国では0社だそうです。

 平和な時代を反映するかのごとく、神宮において式年遷宮が行われてきました。南北朝と太平洋戦争の時は遷宮も行われなかったので、国難の時にはさすがに・・・ということでしょう。
 
 今回、日本に古来伝わるものとして、「自然とご先祖さまに感謝する」と書かせていただきましたが、これは様々な側面のほんの一部だと思います。世界に誇るこの長寿国日本には、その歴史の分私などには計り知れない叡智と知恵が詰まっていると思います。そうでないとこれだけ長く続かないのではないかと思うのです。

 「本物」は後世まで残ります。それを国として体現しているのが日本のような気がしてなりません。




 つづく
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2011年07月26日

3月11日、震災後に思うこと−L

日本に古来伝わるもの-2

 式年遷宮の「ありがとう」ポスターの中には、もうひとつ日本人が古来大事にしていることが入っていました。
 自然にありがとうと続いた後に「ご先祖様にありがとう」というような言葉が続いていました。

 ご先祖様を大切にする文化が日本にはしっかりと根を張って存在しています。こう聞くと、お寺や仏教を思い出す方も多いのではないかと思います。私自身もそうでした。お葬式は仏教で行う方が多いですし、仏壇にはご先祖様が祭られています。ですが、もともと仏教ではご先祖様云々という教えはなかったと聞きます。BC538年に日本へ渡来したあとに、日本の風土に合わせて独自に発展したと言われています。
 
 アメリカにいた時に墓地を訪れる機会がありましたが、ご存知の通り西洋の文化において墓標は個人に対して作られます。ニューヨークの郊外にある大きな墓地では、墓地の中に石で作られた家のようなものが何軒も立っていました。これも、個人のお墓だということでした。著名人のお墓のようですが、いずれにしても個人のものです。

 それに対して日本では、家単位でお墓が作られ、ご先祖様が一緒にいらっしゃいます。これを聞いたアメリカの友人が唖然として目を見張っていたのが思い出されます。

 お盆にしても、ご先祖様の霊をお迎えし、送るという考え方はもともとは神道の考え方で、迎え火、送り火(灯篭流しや五山送りなど)盆踊りが各地で繰り広げられます。

 どう考えても今私たちが生きているのは、連綿と続いてきたご先祖さまがいるからに他なりません。また、いないと私という人間は生まれて来ることができません。そう考えると感謝せずにはいられないのではないでしょうか。感謝の気持ちが根底にあるからこそ、お墓で一緒であることに抵抗を覚えることがないとも言えるのではないかと思うのです。

つづく
posted by nanami at 12:36| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年07月25日

3月11日、震災後に思うこと−K

日本に古来伝わるもの

ujibashi.jpg

「神々の国、日本」(株式会社VOICE出版)で神社を取材で訪れていたとき、一枚のポスターが目に入りました。そのポスターには、朝日を浴びる鳥居の写真とその横に大きく「ありがとう」と印刷されていました。伊勢の神宮の式年遷宮を知らせるポスターです。最後に「この鳥居の向こうには2000年以上もの間、感謝の心の祈りが続けられています」と書かれていました。

 我々日本人は太古の昔、何千年も前から大自然に対して感謝の祈りを捧げてきました。それは、山であり、岩であり、木であり、川、海などです。自然が美しい、清浄なところは神聖であるということを見出し、そこで神祭りをしてきたのです。「生かしていただいてありがとうございます」と。
自然に生かされているという観念です。

この古代の人々が祈りの場とされていたところに、後世の人たちが、神社を建て古事記に出てくる神話の中の神様を祭っていったのが現在日本で登録されているの神社のほとんどと言われています。

 自然に感謝しているところ=神社です。神社はだいたいこんもりと、鬱蒼とした森になっています。その森は「鎮守の森」と呼ばれ、逆にいうと、森の中にお社があるのが神社です。開発されて森がなくなってしまっている神社も今はたくさんありますが・・・

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福島県矢祭町にあるお社と鎮守の森

 神が宿るとされる「鎮守の森」では、むやみやたらに木を伐採しません。人々は神様がいらっしゃるところと思って大事にしてきました。ですからこの森には古来の植生がそのまま残っています。神社には、1000年や2000年の歴史がある神社も数多くあります。つまりそこの森も1000歳、2000歳となります。そういう古くて大切にされてきた神社に行くと、古代からのその土地にある木々を観察することができます。神社は手を入れてない自然が残されてきたところの一つです。

 現在では神社への参拝も、感謝を捧げるというよりは、ご利益を求めて参拝する人々が大変多いと思います。私自身も幼いころから、神社はお願いをするところだと思っていました。神社の周辺には「健康祈願」「交通安全」「心願成就」などの旗が立っているところもあります。

ですが、神社の中で神官の方が行う祭事はどちらかというと、自然に対しての感謝とその地域住民または国家の平安などがお祈りされます。そしてもともと私たち庶民も感謝の気持ちを捧げてきたのが神社なのです。
 他人のために祈る。感謝の気持ちを表すことは本当に尊いことだと思います。

 震災後私たちはさまざまな話をマスコミを通して知ることとなりました。
避難勧告を走りながら続けた警察官のために助かった人が、その警察官が結局逃げ切れなかったことを知った時。
保育所の先生が津波から逃れるために抱きかかえられるだけ子どもをかかえ、高いところに避難した後に、津波が襲い恐怖の目をしたままの子どもたちが津波に飲まれたことを、泣き崩れながら語っている様子。


つづく
posted by nanami at 14:10| Comment(0) | 3月11日、震災後に思うこと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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